2014年4月29日火曜日

にゃー子

「にゃー」っていうのは魔法の言葉。
誰かがわたしに「にゃー」って言う。
そしたらわたしも「にゃー」って言う。
みんなが笑う。
わたしも笑う。

最初のにゃーは、ネコだった。
ゴミ棄て場のネコがかわいかった。
だからわたしは「にゃー」って言った。
そしたら「にゃー」って返された。
しばらくにゃーにゃー鳴き合った。
次の日学校で、わたしはにゃー子になった。
あのネコ、今はどうしているんだろう。
今度会ったら、ありがとうって言いたい。
魔法の言葉を教えてくれて、ありがとう。

今日は、莉奈ちゃんにプレゼントを貰った。
黒いわっかで、「にゃー子」って名札がついていた。
すぐに着けてみせると、みんなが笑った。
嬉しくて、わたしはくるくる回った。
でも授業になると、伊沢先生が「外しなさい」って言った。
困った顔をしてたから、わたしがわるかったんだと思う。
ごめんなさい、先生。

お昼休み、詠美ちゃんがお菓子をくれた。
なんだか臭くて、あんまり味がしないお菓子だった。
だけど詠美ちゃんがくれた物だから、がんばって食べた。
なでなでしてもらえた。
よかった。

弟の幸人は、わたしと話さない。
わたしが話しかけても、返事してくれない。
あと、いつも怒った顔をしてる。
笑ってほしくて、わたしは「にゃー」って言ったことがある。
そしたら叩かれた。
そのあとお母さんが、幸人を怒った。
幸人は、もっと怒った。
悲しかった。
それから、家では「にゃー」って言わないことにした。

今日は学校で、「お手」ってした。
みんな楽しそうだった。
琢磨くんが「わん子」って呼んだ。
でもわたしはにゃー子がいいから、返事しなかった。
千晴ちゃんが「にゃー子」って呼んだ。
わたしはすぐに、「にゃー」って言った。
みんなが笑った 。

放課後、内緒の話をした。
男の子には内緒の話。
好きな子の名前を順番に言う。
みんなの話を聞きながら、わたしはがんばって考えた。
恵美ちゃんの次はわたしだった。
だけど、誰が好きかわからない。
恵美ちゃんが終わった。
でも、次は朱里ちゃんだった。
わたしはほっとした。

みんなは楽しそうにおしゃべりする。
わたしはよくわからないけど、なんか楽しい。
たまに「にゃー」って言われると、「にゃー」って言う。
それがわたしのすること。
ネコの手をつけて言うと、もっと笑ってもらえる。
最近わかった。

葵ちゃんに、「泉井さんは誰が好き?」って聞かれた。
びっくりした。
にゃーじゃないことを言われたから。
何か言わないとって思うけど、何を言っていいのかわからない。
みんながわたしを見る。
詠美ちゃんが、少し怒った顔をした。
わたしは悲しくなった。
莉奈ちゃんが、「もうっ」って言って、代わりにしゃべってくれた。
わたしはほっとした。

今日も幸人は、怒ってる。
怒ってて、ご飯も来ない。
少し前はご飯もお風呂も一緒だったのに、今は別々。
一人のお風呂は、なんだか寂しい。
お母さんに相談したら、「仕方ないわ」って言った。
仕方ないのかな。

学校に行くと、砂の入った箱があった。
「にゃー子のトイレよ」
詠美ちゃんが言った。
困った。
これは恥ずかしい。
でも断り方がわからない。
笑ってるみんなを怒らせないで断るのは、どうしたらいいんだろう。
わからない。
「やめなよ!」
葵ちゃんが言った。

葵ちゃんは、泣きそうな顔をしてた。
詠美ちゃんが、怒った顔をした。
みんなも、怒った顔をした。
詠美ちゃんと莉奈ちゃんが、葵ちゃんを攻めた。
詠美ちゃんがもっと泣きそうな顔になった。
わたしは、どうしたらいいのかわからなかった。
「泉井さん。嫌なら嫌って、はっきり言おう」
泣きそうな葵ちゃんが言った。
「嫌だよね? 泉井さん」
困った。
なんて答えたらいいのか、わからない。
どうしたらみんなが笑ってくれるのか、わからない。
そうだ。こんな時は、魔法の言葉。
「にゃー」

笑わなかった。
葵ちゃんも、詠美ちゃんも、莉奈ちゃんも。
みんな、笑わなかった。
また失敗しちゃったって、そう思った。
どうしようって。

健人くんが、噴き出すみたいに笑ってくれた。
そしたら釣られて、他の人も笑った。
そのうち、ほとんどの人が笑ってくれた。
詠美ちゃんも、莉奈ちゃんも笑ってくれた。
だけど、葵ちゃんは笑ってくれなかった。
泣いてた。
わたしを見て、泣いてた。
他の人が笑ってくれた嬉しさより、葵ちゃんが泣いてしまった悲しさのほうが大きかった。
葵ちゃんが、走って教室から出ていった。
わたしは追いかけた。
でも、追いつけなかった。

葵ちゃんは、帰って来なかった。

今朝は、葵ちゃんが自分の机の前で泣いてた。
雑巾で机を拭きながら、泣いてた。
昨日のことで泣いてるんだって思った。
だから謝らないとって思った。
莉奈ちゃんが「にゃーって言ったら喜ぶよ」って言った。
だからわたしは「にゃー」って言った。
ネコの手もちゃんとつけた。
葵ちゃんが手を上げた。
人をぶつ時の上げかただった。
でもぶたないで、そのまま下げた。
また、机を拭く。
わたしは自分の席に戻った。
莉奈ちゃんが来て、わたしのことを褒めた。
どうして褒められたんだろう。
わたし、また失敗したのに。

葵ちゃんは、忘れ物が増えた。
先生に注意されることが増えた。
保健室に行くことが増えた。
休み時間に教室にいることが減った。
笑うことは、なくなった。

今日、葵ちゃんは学校に来なかった。
先生が、腹痛でお休みって言ってた。
わたしはお見舞いに行きたいって思った。
だけど家がわからなかった。
先生に聞いたら、教えてくれなかった。
でも、放課後に咲ちゃんが教えてくれた。
覚えるのは苦手だけど、紙に書いて教えてくれた。
なんとか覚えた。

道に迷ったけど、なんとか着いた。
ちゃんと表札を確認して、それからチャイムを押した。
おばさんが出てきた。
葵ちゃんのお母さんだと思う。
わたしはがんばってしゃべったんだけど、やっぱり上手にしゃべれなかった。
葵ちゃんのお母さんは、変な顔をした。
わたしはどうしようって思って、それでプリントのことを思い出した。
咲ちゃんから預かった宿題のプリントを見せた。
葵ちゃんのお母さんは「ああ」って言った。
プリントを渡したら、ドアが閉まった。
お見舞い、できなかった。

今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしはもう一度、葵ちゃんの家に行った。
葵ちゃんに会いたかったけど、葵ちゃんのお母さんと上手にしゃべれなくて、できなかった。

今日も葵ちゃんはお休みだった。
何か持っていってあげたいけど、お腹が痛いから食べ物はだめだと思った。
それに、お金がなかった。
何も持たないで、葵ちゃんの家に行った。
プリントを渡して、帰った。

お母さんに相談した。
それで、折り紙のつるをあげることにした。
折り紙を貰って、お母さんに教えてもらって、がんばって作った。
でも、上手にできなかった。

今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしは持ってきた折り紙で、つるを作った。
みんなが聞いてきたから、「つるをつくってる」って言った。
そしたら、手伝ってくれた。
みんな楽しそうだった。
ずっと作ってたら、「なんで?」って聞かれた。
わたしは「千個つくる」って言った。
そしたらみんな、変な顔になった。
手伝ってくれなくなった。
また失敗したんだって思った。
だけど、何を失敗したのかわからなかった。

今日も葵ちゃんの家に行った。
今日も葵ちゃんに会えなかった。
早くつるをあげたいって思った。
早く元気になってほしいって思った。

家でつるを作ってると、お母さんが手伝ってくれた。
「仕事はいいの?」って聞いたら、「休憩」って言ってた。
お母さんは、あっという間に1個作って、仕事に戻った。
お母さんはすごいなって思った。

寝る時間になった。
でもわたしはもっとつるを作りたかった。
お母さんにそう言ったら、許してくれた。
いつもより長く起きて、わたしはつるを作った。

今日も葵ちゃんはお休みだった。
つるを作ってると、みんながたくさん話しかけてくれた。
嬉しかったけど、つるを作りたいからあんまりしゃべれなかった。
にゃーって言われて、にゃーって言うのも、あんまりできなかった。
詠美ちゃんがつるを落として踏んだ。
すぐに「ごめん」って言ってくれた。
わたしは、泣いちゃった。
いいよって言いたかったのに、泣いちゃった。
それからは、誰も話しかけてこなくなった。

今日も葵ちゃんの家に行った。
今日は少しがんばって、葵ちゃんのお母さんにお願いした。
でもやっぱり、葵ちゃんには会えなかった。

夜に家でつるの数を数えた。
23個だった。
千個作るのは、無理だと思った。
悲しくなった。
涙が出てきた。
もうずっと葵ちゃんに会えない気がした。
葵ちゃんの病気が治らない気がした。
千個作りたいのに、作れない。
何をしたらいいのか、わからなくなった。

お母さんに、「どうしたの?」って聞かれた。
「千個も作れない」って言った。
お母さんは何も言わないで、手伝ってくれた。
いっぱい作ってくれた。
わたしは、1個も作れなかった。
お母さんのつるは、きれい。
わたしのつるは、きれいじゃない。
わたしもお母さんみたいに上手に作れたらいいのにって思った。

今日も葵ちゃんはお休みだった。
葵ちゃんに来てほしかった。
つるを作るのはやめた。
かわりに、どうしたら葵ちゃんが元気になるかって考えた。
わからなかった。

今日も葵ちゃんの家に行った。
今日もプリントを渡して、すぐにドアが閉まった。
わたしは帰ろうとして、でも帰りたくなかった。
どうしても葵ちゃんに会いたかった。
だけどどうしたらいいのかわからなかった。
それで、ずっと家の前にいた。
暗くなるまでそうしてたら、葵ちゃんのお父さんみたいな人が帰ってきた。
葵ちゃんのお父さんは、わたしを見て変な顔をした。
葵ちゃんのお父さんが家に入った。
少しして、葵ちゃんのお母さんが出てきた。
葵ちゃんのお母さんは、「帰って」って言った。
わたしは帰った。

帰ると、お母さんがいなかった。
テーブルの上に、おかずがラップをかけて置いてあった。
今日は、お母さんが夜の仕事でいない日だった。
幸人にいつご飯を食べるか聞いたら、「そのうち食べる」って言った。
わたしはレンジでおかずを温めて、幸人を待った。
幸人が来る前におかずが冷めたから、もう1回温めた。
お腹が空いた。
でも今日は、誰かと一緒に食べたかった。
だから待った。
もう1回冷めて、もう1回温めた。
5回ぐらいやったら、寝る時間になった。
ご飯を食べないで寝たら、お母さんが心配する。
わたしは一人で食べた。
いつもはおいしいおでんが、あんまりおいしくなかった。

今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしは今日も、どうしたら葵ちゃんが元気になるかって考えた。
でも頭が変で、何も考えられなくなってきた。
頭がキーンってなる。
目がぐにゃぐにゃする。
莉奈ちゃんが、「大丈夫?」って聞いてきた。
なんのことかわからない。
莉奈ちゃんが先生に何か言った。
先生が何か言った。
詠美ちゃんが何か言った。
詠美ちゃんが、わたしの手をやさしく引いた。
わたしは、詠美ちゃんがひっぱるほうに歩いた。
そしたら、保健室に着いた。
保健室の先生がわたしのおでこに手を当てて、「風邪だ」って言った。
それから、「寝てなさい」って言った。
わたしは寝た。
学校のベッドで寝るのは、変な感じがした。

起きたら、お母さんがいた。
お母さんが、保健室の先生に何か言った。
それからお母さんに連れられて、わたしは車に乗った。
車でも、わたしは寝てた。
わたしは寝たまま、「ごめんなさい」って言った。
お母さんは、「佳乃は悪くないわ」って言った。
わたしは、泣いた。
なんで泣いたのか、わからなかった。
泣き虫なわたしを、お母さんは怒らなかった。

家の布団で寝て、頭に冷たいのを貼ってもらった。
おかゆを食べさせてもらった。
わたしの顔の横に電話の子機を置いて、「何かあったら大きい1番を押しなさい」って言われた。
わたしは「うん」って言った。
それからお母さんは、仕事に行った。
わたしは寝た。

起きたら、おかゆが置いてあった。
お腹が空いてたから食べた。
おいしくなかった。
変だなと思ったけど、全部食べた。
トイレに行きたくなった。
下に降りて、トイレでおしっこした。
トイレを出てから、お母さんを探した。
どこにもいなかった。
変だなと思ったけど、よくわからなかったから寝ることにした。

夜は元気になったから、お母さんと一緒に普通のご飯を食べた。
お母さんが、「おかゆ作ったの?」って聞いてきた。
わたしは「ううん」って言った。
「じゃあ、あれは幸人ね」ってお母さんが言った。
あのおかゆは、幸人がつくったおかゆだってわかった。
幸人がわたしにおかゆを作ってくれてた。
なんだか、すごく嬉しかった。
おいしくなかったおかゆが、すごくおいしいおかゆになった。
わたしはすぐに、幸人の部屋の前に行った。
それで「ありがとう」って言った。
返事はなかったけど、悲しくなかった。

ご飯のあとに、わたしはつるを作った。
きれいじゃなくても、遅くても、がんばって作ろうって思った。
お母さんが、「早く寝なさい」って言った。
わたしは、「もう少し」って言った。
だけど今日は「病気したから駄目」って言われた。
わたしは部屋に入って、ベッドに入った。
だけどドキドキして、なかなか眠れなかった。

今日は学校に行く途中で、千晴ちゃんと縷々ちゃんに会った。
千晴ちゃんが、「大丈夫?」って聞いてきた。
わたしは「うん」って言った。
それから千晴ちゃんが小さい声で「これ」って言って、つるを出した。
びっくりした。
10個ぐらいあった。
「家で作った」って、千晴ちゃんが言った。
「学校じゃ怖いから」って、縷々ちゃんが言った。
わたしは「ありがとう」って言って、つるをしまった。
それから、三人で一緒に学校へ行った。

今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしはがんばってつるを作った。
千晴ちゃんと縷々ちゃんだけじゃなくて、他の人もつるをくれた。
字を書いてるのもあった。
「色々ごめん。でも俺はお前の味方だ。ガンバレ」
その字を見て、わたしもがんばろうって思った。
早く葵ちゃんにも見せてあげたいって思った。

放課後に、日直の詩織ちゃんから葵ちゃんのプリントをもらおうとした。
そしたら、「私も行っていい?」って聞かれた。
わたしは「うん」って言って、一緒に行くことになった。

葵ちゃんのお母さんにプリントを渡したら、「上がっていく?」って聞かれた。
びっくりした。
もちろん、「うん」って言った。
でも詩織ちゃんは、「私はいいです」って言った。
それで、わたし一人で葵ちゃんの家に入った。

葵ちゃんのお母さんが、「葵の為にありがとう」って言った。
わたしは、なんて言っていいかわからなかった。
葵ちゃんのお母さんは、お茶とお菓子を出してくれた。
でもわたしは、それよりも早く葵ちゃんに会いたかった。
そう言ったら、葵ちゃんのお母さんは「ありがとう」って言ってから、2階の部屋に連れていってくれた。

葵ちゃんのお母さんが部屋の扉ををノックした。
「いいよ」っていう葵ちゃんの声が聞こえた。
葵ちゃんのお母さんが扉を開いた。
わたしは、久しぶりに葵ちゃんを見た。
葵ちゃんは、びっくりしてた。
思ってたよりも元気そうでよかった。
わたしが中に入ると、葵ちゃんのお母さんは「それじゃあ」って言って降りていった。
葵ちゃんは、まだびっくりしてた。
わたしは、びっくりしてる葵ちゃんの前に座った。
わたしは、言った。
「葵ちゃん、学校、来て」
葵ちゃんは、言った。
「…………うん」

今日は葵ちゃんが学校に来てくれた。
まだちょっと元気がなさそうだった。
だけど、来てくれただけでわたしは嬉しかった。

お昼休み、葵ちゃんが誘ってくれた。
二人で中庭に行って、お弁当を食べた。
葵ちゃんが「ごめんなさい」って言った。
なんのことかわからなかった。
葵ちゃんはごめんの理由を色々言ってくれたけど、それでもよくわからなかった。
しゃべってる途中で、葵ちゃんがわたしの顔を見た。
葵ちゃんが、笑った。
なんで笑ったのかわからなかったけど、わたしも嬉しくなって、笑った。
いっぱい笑った。
わたしは、つるを出した。
みんなで作ったつる。
さっき数えたら、58個あった。
千個になってないけど、渡すことにした。
葵ちゃんは、つるを見てびっくりしてた。
それから、「ありがとう」って言ってくれた。
ごめんよりも、ずっとずっと嬉しかった。
葵ちゃんが、「佳乃ちゃんって、呼んでいい?」って言った。
わたしは「だめ」って言った。
葵ちゃんが悲しそうな顔になった。
わたしは、「にゃー子」って言った。
葵ちゃんが笑った。
「にゃー子ちゃん」って呼んでくれた。
なんか、胸がムズムズして、いっぱい笑いたくなった。
だからいっぱい笑った。
いっぱいいっぱい笑った。

今朝、ゴミ棄て場でネコに会った。
魔法の言葉を教えてくれたネコだった。
わたしは、「ありがとう」って言った。
ネコは首を傾げた。
わからないみたいだった。
それでわたしは、ありがとうのかわりに「にゃー」って言った。
そしたらネコも、「にゃー」って言った。
ちゃんと伝わった。

「にゃー」っていうのは魔法の言葉。
誰かがわたしに「にゃー」って言う。
そしたらわたしも「にゃー」って言う。
みんなが笑う。
わたしも笑う。

0 件のコメント:

コメントを投稿