「にゃー」っていうのは魔法の言葉。
誰かがわたしに「にゃー」って言う。
そしたらわたしも「にゃー」って言う。
みんなが笑う。
わたしも笑う。
最初のにゃーは、ネコだった。
ゴミ棄て場のネコがかわいかった。
だからわたしは「にゃー」って言った。
そしたら「にゃー」って返された。
しばらくにゃーにゃー鳴き合った。
次の日学校で、わたしはにゃー子になった。
あのネコ、今はどうしているんだろう。
今度会ったら、ありがとうって言いたい。
魔法の言葉を教えてくれて、ありがとう。
今日は、莉奈ちゃんにプレゼントを貰った。
黒いわっかで、「にゃー子」って名札がついていた。
すぐに着けてみせると、みんなが笑った。
嬉しくて、わたしはくるくる回った。
でも授業になると、伊沢先生が「外しなさい」って言った。
困った顔をしてたから、わたしがわるかったんだと思う。
ごめんなさい、先生。
お昼休み、詠美ちゃんがお菓子をくれた。
なんだか臭くて、あんまり味がしないお菓子だった。
だけど詠美ちゃんがくれた物だから、がんばって食べた。
なでなでしてもらえた。
よかった。
弟の幸人は、わたしと話さない。
わたしが話しかけても、返事してくれない。
あと、いつも怒った顔をしてる。
笑ってほしくて、わたしは「にゃー」って言ったことがある。
そしたら叩かれた。
そのあとお母さんが、幸人を怒った。
幸人は、もっと怒った。
悲しかった。
それから、家では「にゃー」って言わないことにした。
今日は学校で、「お手」ってした。
みんな楽しそうだった。
琢磨くんが「わん子」って呼んだ。
でもわたしはにゃー子がいいから、返事しなかった。
千晴ちゃんが「にゃー子」って呼んだ。
わたしはすぐに、「にゃー」って言った。
みんなが笑った 。
放課後、内緒の話をした。
男の子には内緒の話。
好きな子の名前を順番に言う。
みんなの話を聞きながら、わたしはがんばって考えた。
恵美ちゃんの次はわたしだった。
だけど、誰が好きかわからない。
恵美ちゃんが終わった。
でも、次は朱里ちゃんだった。
わたしはほっとした。
みんなは楽しそうにおしゃべりする。
わたしはよくわからないけど、なんか楽しい。
たまに「にゃー」って言われると、「にゃー」って言う。
それがわたしのすること。
ネコの手をつけて言うと、もっと笑ってもらえる。
最近わかった。
葵ちゃんに、「泉井さんは誰が好き?」って聞かれた。
びっくりした。
にゃーじゃないことを言われたから。
何か言わないとって思うけど、何を言っていいのかわからない。
みんながわたしを見る。
詠美ちゃんが、少し怒った顔をした。
わたしは悲しくなった。
莉奈ちゃんが、「もうっ」って言って、代わりにしゃべってくれた。
わたしはほっとした。
今日も幸人は、怒ってる。
怒ってて、ご飯も来ない。
少し前はご飯もお風呂も一緒だったのに、今は別々。
一人のお風呂は、なんだか寂しい。
お母さんに相談したら、「仕方ないわ」って言った。
仕方ないのかな。
学校に行くと、砂の入った箱があった。
「にゃー子のトイレよ」
詠美ちゃんが言った。
困った。
これは恥ずかしい。
でも断り方がわからない。
笑ってるみんなを怒らせないで断るのは、どうしたらいいんだろう。
わからない。
「やめなよ!」
葵ちゃんが言った。
葵ちゃんは、泣きそうな顔をしてた。
詠美ちゃんが、怒った顔をした。
みんなも、怒った顔をした。
詠美ちゃんと莉奈ちゃんが、葵ちゃんを攻めた。
詠美ちゃんがもっと泣きそうな顔になった。
わたしは、どうしたらいいのかわからなかった。
「泉井さん。嫌なら嫌って、はっきり言おう」
泣きそうな葵ちゃんが言った。
「嫌だよね? 泉井さん」
困った。
なんて答えたらいいのか、わからない。
どうしたらみんなが笑ってくれるのか、わからない。
そうだ。こんな時は、魔法の言葉。
「にゃー」
笑わなかった。
葵ちゃんも、詠美ちゃんも、莉奈ちゃんも。
みんな、笑わなかった。
また失敗しちゃったって、そう思った。
どうしようって。
健人くんが、噴き出すみたいに笑ってくれた。
そしたら釣られて、他の人も笑った。
そのうち、ほとんどの人が笑ってくれた。
詠美ちゃんも、莉奈ちゃんも笑ってくれた。
だけど、葵ちゃんは笑ってくれなかった。
泣いてた。
わたしを見て、泣いてた。
他の人が笑ってくれた嬉しさより、葵ちゃんが泣いてしまった悲しさのほうが大きかった。
葵ちゃんが、走って教室から出ていった。
わたしは追いかけた。
でも、追いつけなかった。
葵ちゃんは、帰って来なかった。
今朝は、葵ちゃんが自分の机の前で泣いてた。
雑巾で机を拭きながら、泣いてた。
昨日のことで泣いてるんだって思った。
だから謝らないとって思った。
莉奈ちゃんが「にゃーって言ったら喜ぶよ」って言った。
だからわたしは「にゃー」って言った。
ネコの手もちゃんとつけた。
葵ちゃんが手を上げた。
人をぶつ時の上げかただった。
でもぶたないで、そのまま下げた。
また、机を拭く。
わたしは自分の席に戻った。
莉奈ちゃんが来て、わたしのことを褒めた。
どうして褒められたんだろう。
わたし、また失敗したのに。
葵ちゃんは、忘れ物が増えた。
先生に注意されることが増えた。
保健室に行くことが増えた。
休み時間に教室にいることが減った。
笑うことは、なくなった。
今日、葵ちゃんは学校に来なかった。
先生が、腹痛でお休みって言ってた。
わたしはお見舞いに行きたいって思った。
だけど家がわからなかった。
先生に聞いたら、教えてくれなかった。
でも、放課後に咲ちゃんが教えてくれた。
覚えるのは苦手だけど、紙に書いて教えてくれた。
なんとか覚えた。
道に迷ったけど、なんとか着いた。
ちゃんと表札を確認して、それからチャイムを押した。
おばさんが出てきた。
葵ちゃんのお母さんだと思う。
わたしはがんばってしゃべったんだけど、やっぱり上手にしゃべれなかった。
葵ちゃんのお母さんは、変な顔をした。
わたしはどうしようって思って、それでプリントのことを思い出した。
咲ちゃんから預かった宿題のプリントを見せた。
葵ちゃんのお母さんは「ああ」って言った。
プリントを渡したら、ドアが閉まった。
お見舞い、できなかった。
今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしはもう一度、葵ちゃんの家に行った。
葵ちゃんに会いたかったけど、葵ちゃんのお母さんと上手にしゃべれなくて、できなかった。
今日も葵ちゃんはお休みだった。
何か持っていってあげたいけど、お腹が痛いから食べ物はだめだと思った。
それに、お金がなかった。
何も持たないで、葵ちゃんの家に行った。
プリントを渡して、帰った。
お母さんに相談した。
それで、折り紙のつるをあげることにした。
折り紙を貰って、お母さんに教えてもらって、がんばって作った。
でも、上手にできなかった。
今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしは持ってきた折り紙で、つるを作った。
みんなが聞いてきたから、「つるをつくってる」って言った。
そしたら、手伝ってくれた。
みんな楽しそうだった。
ずっと作ってたら、「なんで?」って聞かれた。
わたしは「千個つくる」って言った。
そしたらみんな、変な顔になった。
手伝ってくれなくなった。
また失敗したんだって思った。
だけど、何を失敗したのかわからなかった。
今日も葵ちゃんの家に行った。
今日も葵ちゃんに会えなかった。
早くつるをあげたいって思った。
早く元気になってほしいって思った。
家でつるを作ってると、お母さんが手伝ってくれた。
「仕事はいいの?」って聞いたら、「休憩」って言ってた。
お母さんは、あっという間に1個作って、仕事に戻った。
お母さんはすごいなって思った。
寝る時間になった。
でもわたしはもっとつるを作りたかった。
お母さんにそう言ったら、許してくれた。
いつもより長く起きて、わたしはつるを作った。
今日も葵ちゃんはお休みだった。
つるを作ってると、みんながたくさん話しかけてくれた。
嬉しかったけど、つるを作りたいからあんまりしゃべれなかった。
にゃーって言われて、にゃーって言うのも、あんまりできなかった。
詠美ちゃんがつるを落として踏んだ。
すぐに「ごめん」って言ってくれた。
わたしは、泣いちゃった。
いいよって言いたかったのに、泣いちゃった。
それからは、誰も話しかけてこなくなった。
今日も葵ちゃんの家に行った。
今日は少しがんばって、葵ちゃんのお母さんにお願いした。
でもやっぱり、葵ちゃんには会えなかった。
夜に家でつるの数を数えた。
23個だった。
千個作るのは、無理だと思った。
悲しくなった。
涙が出てきた。
もうずっと葵ちゃんに会えない気がした。
葵ちゃんの病気が治らない気がした。
千個作りたいのに、作れない。
何をしたらいいのか、わからなくなった。
お母さんに、「どうしたの?」って聞かれた。
「千個も作れない」って言った。
お母さんは何も言わないで、手伝ってくれた。
いっぱい作ってくれた。
わたしは、1個も作れなかった。
お母さんのつるは、きれい。
わたしのつるは、きれいじゃない。
わたしもお母さんみたいに上手に作れたらいいのにって思った。
今日も葵ちゃんはお休みだった。
葵ちゃんに来てほしかった。
つるを作るのはやめた。
かわりに、どうしたら葵ちゃんが元気になるかって考えた。
わからなかった。
今日も葵ちゃんの家に行った。
今日もプリントを渡して、すぐにドアが閉まった。
わたしは帰ろうとして、でも帰りたくなかった。
どうしても葵ちゃんに会いたかった。
だけどどうしたらいいのかわからなかった。
それで、ずっと家の前にいた。
暗くなるまでそうしてたら、葵ちゃんのお父さんみたいな人が帰ってきた。
葵ちゃんのお父さんは、わたしを見て変な顔をした。
葵ちゃんのお父さんが家に入った。
少しして、葵ちゃんのお母さんが出てきた。
葵ちゃんのお母さんは、「帰って」って言った。
わたしは帰った。
帰ると、お母さんがいなかった。
テーブルの上に、おかずがラップをかけて置いてあった。
今日は、お母さんが夜の仕事でいない日だった。
幸人にいつご飯を食べるか聞いたら、「そのうち食べる」って言った。
わたしはレンジでおかずを温めて、幸人を待った。
幸人が来る前におかずが冷めたから、もう1回温めた。
お腹が空いた。
でも今日は、誰かと一緒に食べたかった。
だから待った。
もう1回冷めて、もう1回温めた。
5回ぐらいやったら、寝る時間になった。
ご飯を食べないで寝たら、お母さんが心配する。
わたしは一人で食べた。
いつもはおいしいおでんが、あんまりおいしくなかった。
今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしは今日も、どうしたら葵ちゃんが元気になるかって考えた。
でも頭が変で、何も考えられなくなってきた。
頭がキーンってなる。
目がぐにゃぐにゃする。
莉奈ちゃんが、「大丈夫?」って聞いてきた。
なんのことかわからない。
莉奈ちゃんが先生に何か言った。
先生が何か言った。
詠美ちゃんが何か言った。
詠美ちゃんが、わたしの手をやさしく引いた。
わたしは、詠美ちゃんがひっぱるほうに歩いた。
そしたら、保健室に着いた。
保健室の先生がわたしのおでこに手を当てて、「風邪だ」って言った。
それから、「寝てなさい」って言った。
わたしは寝た。
学校のベッドで寝るのは、変な感じがした。
起きたら、お母さんがいた。
お母さんが、保健室の先生に何か言った。
それからお母さんに連れられて、わたしは車に乗った。
車でも、わたしは寝てた。
わたしは寝たまま、「ごめんなさい」って言った。
お母さんは、「佳乃は悪くないわ」って言った。
わたしは、泣いた。
なんで泣いたのか、わからなかった。
泣き虫なわたしを、お母さんは怒らなかった。
家の布団で寝て、頭に冷たいのを貼ってもらった。
おかゆを食べさせてもらった。
わたしの顔の横に電話の子機を置いて、「何かあったら大きい1番を押しなさい」って言われた。
わたしは「うん」って言った。
それからお母さんは、仕事に行った。
わたしは寝た。
起きたら、おかゆが置いてあった。
お腹が空いてたから食べた。
おいしくなかった。
変だなと思ったけど、全部食べた。
トイレに行きたくなった。
下に降りて、トイレでおしっこした。
トイレを出てから、お母さんを探した。
どこにもいなかった。
変だなと思ったけど、よくわからなかったから寝ることにした。
夜は元気になったから、お母さんと一緒に普通のご飯を食べた。
お母さんが、「おかゆ作ったの?」って聞いてきた。
わたしは「ううん」って言った。
「じゃあ、あれは幸人ね」ってお母さんが言った。
あのおかゆは、幸人がつくったおかゆだってわかった。
幸人がわたしにおかゆを作ってくれてた。
なんだか、すごく嬉しかった。
おいしくなかったおかゆが、すごくおいしいおかゆになった。
わたしはすぐに、幸人の部屋の前に行った。
それで「ありがとう」って言った。
返事はなかったけど、悲しくなかった。
ご飯のあとに、わたしはつるを作った。
きれいじゃなくても、遅くても、がんばって作ろうって思った。
お母さんが、「早く寝なさい」って言った。
わたしは、「もう少し」って言った。
だけど今日は「病気したから駄目」って言われた。
わたしは部屋に入って、ベッドに入った。
だけどドキドキして、なかなか眠れなかった。
今日は学校に行く途中で、千晴ちゃんと縷々ちゃんに会った。
千晴ちゃんが、「大丈夫?」って聞いてきた。
わたしは「うん」って言った。
それから千晴ちゃんが小さい声で「これ」って言って、つるを出した。
びっくりした。
10個ぐらいあった。
「家で作った」って、千晴ちゃんが言った。
「学校じゃ怖いから」って、縷々ちゃんが言った。
わたしは「ありがとう」って言って、つるをしまった。
それから、三人で一緒に学校へ行った。
今日も葵ちゃんはお休みだった。
わたしはがんばってつるを作った。
千晴ちゃんと縷々ちゃんだけじゃなくて、他の人もつるをくれた。
字を書いてるのもあった。
「色々ごめん。でも俺はお前の味方だ。ガンバレ」
その字を見て、わたしもがんばろうって思った。
早く葵ちゃんにも見せてあげたいって思った。
放課後に、日直の詩織ちゃんから葵ちゃんのプリントをもらおうとした。
そしたら、「私も行っていい?」って聞かれた。
わたしは「うん」って言って、一緒に行くことになった。
葵ちゃんのお母さんにプリントを渡したら、「上がっていく?」って聞かれた。
びっくりした。
もちろん、「うん」って言った。
でも詩織ちゃんは、「私はいいです」って言った。
それで、わたし一人で葵ちゃんの家に入った。
葵ちゃんのお母さんが、「葵の為にありがとう」って言った。
わたしは、なんて言っていいかわからなかった。
葵ちゃんのお母さんは、お茶とお菓子を出してくれた。
でもわたしは、それよりも早く葵ちゃんに会いたかった。
そう言ったら、葵ちゃんのお母さんは「ありがとう」って言ってから、2階の部屋に連れていってくれた。
葵ちゃんのお母さんが部屋の扉ををノックした。
「いいよ」っていう葵ちゃんの声が聞こえた。
葵ちゃんのお母さんが扉を開いた。
わたしは、久しぶりに葵ちゃんを見た。
葵ちゃんは、びっくりしてた。
思ってたよりも元気そうでよかった。
わたしが中に入ると、葵ちゃんのお母さんは「それじゃあ」って言って降りていった。
葵ちゃんは、まだびっくりしてた。
わたしは、びっくりしてる葵ちゃんの前に座った。
わたしは、言った。
「葵ちゃん、学校、来て」
葵ちゃんは、言った。
「…………うん」
今日は葵ちゃんが学校に来てくれた。
まだちょっと元気がなさそうだった。
だけど、来てくれただけでわたしは嬉しかった。
お昼休み、葵ちゃんが誘ってくれた。
二人で中庭に行って、お弁当を食べた。
葵ちゃんが「ごめんなさい」って言った。
なんのことかわからなかった。
葵ちゃんはごめんの理由を色々言ってくれたけど、それでもよくわからなかった。
しゃべってる途中で、葵ちゃんがわたしの顔を見た。
葵ちゃんが、笑った。
なんで笑ったのかわからなかったけど、わたしも嬉しくなって、笑った。
いっぱい笑った。
わたしは、つるを出した。
みんなで作ったつる。
さっき数えたら、58個あった。
千個になってないけど、渡すことにした。
葵ちゃんは、つるを見てびっくりしてた。
それから、「ありがとう」って言ってくれた。
ごめんよりも、ずっとずっと嬉しかった。
葵ちゃんが、「佳乃ちゃんって、呼んでいい?」って言った。
わたしは「だめ」って言った。
葵ちゃんが悲しそうな顔になった。
わたしは、「にゃー子」って言った。
葵ちゃんが笑った。
「にゃー子ちゃん」って呼んでくれた。
なんか、胸がムズムズして、いっぱい笑いたくなった。
だからいっぱい笑った。
いっぱいいっぱい笑った。
今朝、ゴミ棄て場でネコに会った。
魔法の言葉を教えてくれたネコだった。
わたしは、「ありがとう」って言った。
ネコは首を傾げた。
わからないみたいだった。
それでわたしは、ありがとうのかわりに「にゃー」って言った。
そしたらネコも、「にゃー」って言った。
ちゃんと伝わった。
「にゃー」っていうのは魔法の言葉。
誰かがわたしに「にゃー」って言う。
そしたらわたしも「にゃー」って言う。
みんなが笑う。
わたしも笑う。
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